2010年07月26日
知足 ということ
最近、我が家の庭にも、ベランダにも、駐車場にも、
あちらこちらに蜘蛛&蜘蛛の巣がたくさん。
蜘蛛の巣の存在に気がつかず、顔や頭に蜘蛛の糸が付いちゃうことも多い。
そんなわけで、通り道や、洗濯物を干す場所だったりに蜘蛛の巣があると
せっかく綺麗に糸張ってんのにごめんよーと思いつつ、ほうきで払っております。
まぁ払っても払っても、また翌日には新しい蜘蛛の巣が出現しているのだけど。
しかし改めて考えてみると、蜘蛛の巣ってすごい。
材料は自らの体内から調達&餌をおびきよせるトラップにもなるし。
んー逞しい。やっぱり自然の中で生きていく者たちは強い。

さて。話はガラリと変わって。
先日友人に、ブログのタイトルにもある「知足家naminomi」について
「知足家ってなーん?」と訊かれました。
沖縄でやってたお店がcafe naminami という名前だったのですが
それにひっかけて naminomi というa→oの一文字違いのネーミングに加え
「知足家」をプラスしたわけなんですけどね。
naminamiは食べものやさんだったのですが、手しごとの雑貨類も少々扱っており
わたし的にはもともと、てしごとの道具とか、長く愛用できる雑貨類とか、
そういうものを、食べものと同じくらい力を入れた商売をしたかったのでした。
ですが日替わりランチの準備で、とてもそこまで手が回らなくて
結局友人たちの手しごと品を、店の片隅に少し展示販売するだけだったのですがね。
なので、沖縄から熊本に来て、物理的にnaminamiでランチを作れない今、
最初の思いにあった「モノ」に手を広げていこうかなーと。
食べものやさんである「cafe naminami」の姉妹店として
日常の暮らしの道具・雑貨を扱う「知足家naminami」を始めたいなーと。
ですが、自分の思いの変化や、物理的な状況における壁などなどで
なかなか納得いく事業計画が組み立てられないまま今に至ります。
しかしなんとなく、それも自分の中でOKだと思っています。
様々な出会いやご縁の中で、具体的な表現・手段は異なっていても
自分が進みたい方向には足が向いてるのを感じているので・・・。
話をもとに戻して「知足家ってなーん?」ですが。
「知足」という言葉から思い浮かべるのは、
「知足経済」「知足社会」「吾唯知足」「識分知足」「少欲知足」などなど色々ありますが
すべて、わたし自身が肝に銘じたいことばかりです。
そして、これらを理解して生きていくことが、この上ない幸せだと思っています。
「モノ」を介してしごとをする、ということは
「知足」から遠くかけ離れていく危さも孕んでいます。
そんなわけで、本当の幸せ=心が満たされる豊かさ を見失わないよう、
「知足家」と名づけています。
お釈迦様の最後の教え「佛遺教経」より
『知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。
不知足の者は、天堂に処(しょ)すと雖も亦意(またこころ)に称(かな)わず。
不知足の者は、富めりと雖も而も貧し』
*足ることを知っている者は地べたに寝るような生活であっても幸せを感じている。
しかし足ることを知らない者は天にある宮殿のような所に住んでいても満足できない。
足ることを知らない者はいくら裕福であっても心は貧しい。
あちらこちらに蜘蛛&蜘蛛の巣がたくさん。
蜘蛛の巣の存在に気がつかず、顔や頭に蜘蛛の糸が付いちゃうことも多い。
そんなわけで、通り道や、洗濯物を干す場所だったりに蜘蛛の巣があると
せっかく綺麗に糸張ってんのにごめんよーと思いつつ、ほうきで払っております。
まぁ払っても払っても、また翌日には新しい蜘蛛の巣が出現しているのだけど。
しかし改めて考えてみると、蜘蛛の巣ってすごい。
材料は自らの体内から調達&餌をおびきよせるトラップにもなるし。
んー逞しい。やっぱり自然の中で生きていく者たちは強い。

さて。話はガラリと変わって。
先日友人に、ブログのタイトルにもある「知足家naminomi」について
「知足家ってなーん?」と訊かれました。
沖縄でやってたお店がcafe naminami という名前だったのですが
それにひっかけて naminomi というa→oの一文字違いのネーミングに加え
「知足家」をプラスしたわけなんですけどね。
naminamiは食べものやさんだったのですが、手しごとの雑貨類も少々扱っており
わたし的にはもともと、てしごとの道具とか、長く愛用できる雑貨類とか、
そういうものを、食べものと同じくらい力を入れた商売をしたかったのでした。
ですが日替わりランチの準備で、とてもそこまで手が回らなくて
結局友人たちの手しごと品を、店の片隅に少し展示販売するだけだったのですがね。
なので、沖縄から熊本に来て、物理的にnaminamiでランチを作れない今、
最初の思いにあった「モノ」に手を広げていこうかなーと。
食べものやさんである「cafe naminami」の姉妹店として
日常の暮らしの道具・雑貨を扱う「知足家naminami」を始めたいなーと。
ですが、自分の思いの変化や、物理的な状況における壁などなどで
なかなか納得いく事業計画が組み立てられないまま今に至ります。
しかしなんとなく、それも自分の中でOKだと思っています。
様々な出会いやご縁の中で、具体的な表現・手段は異なっていても
自分が進みたい方向には足が向いてるのを感じているので・・・。
話をもとに戻して「知足家ってなーん?」ですが。
「知足」という言葉から思い浮かべるのは、
「知足経済」「知足社会」「吾唯知足」「識分知足」「少欲知足」などなど色々ありますが
すべて、わたし自身が肝に銘じたいことばかりです。
そして、これらを理解して生きていくことが、この上ない幸せだと思っています。
「モノ」を介してしごとをする、ということは
「知足」から遠くかけ離れていく危さも孕んでいます。
そんなわけで、本当の幸せ=心が満たされる豊かさ を見失わないよう、
「知足家」と名づけています。
お釈迦様の最後の教え「佛遺教経」より
『知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。
不知足の者は、天堂に処(しょ)すと雖も亦意(またこころ)に称(かな)わず。
不知足の者は、富めりと雖も而も貧し』
*足ることを知っている者は地べたに寝るような生活であっても幸せを感じている。
しかし足ることを知らない者は天にある宮殿のような所に住んでいても満足できない。
足ることを知らない者はいくら裕福であっても心は貧しい。
Posted by ハルミ。 at 10:14│Comments(4)
│つれづれ
この記事へのコメント
足るを知ると現状に感謝の気持ちが湧いてきますね
Posted by 忠吾
at 2010年07月26日 15:28

忠吾さんへ
ホントにそうですね。
感謝できる人は、幸せな生き方をしているのだと思います^^
ホントにそうですね。
感謝できる人は、幸せな生き方をしているのだと思います^^
Posted by naminomiハルミ at 2010年07月26日 16:30
足るを知るとは聞くけど、
ハルちゃんからはじめて聞いた言葉、熟語?だったよ、
知足って。
実は、昨日、だんなと話してたとこ、
「自然って、ほんと完ぺきなシステムだよね、
冬には冬の、夏には夏の食べ物があって
それは、人間にとっても最適の栄養をくれてる。」
て。
いや、蜘蛛のことに関してのはるちゃんの感動と
リンクするものを感じてたんだなぁと。
自然に学ぶこといっぱいあるんだね、
足るを知るのも、
そこに通じてるのかな。。。
ハルちゃんからはじめて聞いた言葉、熟語?だったよ、
知足って。
実は、昨日、だんなと話してたとこ、
「自然って、ほんと完ぺきなシステムだよね、
冬には冬の、夏には夏の食べ物があって
それは、人間にとっても最適の栄養をくれてる。」
て。
いや、蜘蛛のことに関してのはるちゃんの感動と
リンクするものを感じてたんだなぁと。
自然に学ぶこといっぱいあるんだね、
足るを知るのも、
そこに通じてるのかな。。。
Posted by hamaru
at 2010年07月26日 20:35

足るを知るって、幸せな生き方なんだと思っていても
忙しない日常に流されていると、ついつい忘れてしまうのよね。
あー、やっぱコレ欲しい。あれも欲しい。とか欲が湧き出たり
人と比べて羨んだり落ち込んだりしてね。
でも若いころに比べたら、少しずつそういうものも枯れてきた!?
なんて思う今日この頃。
今が1番幸せだなーと思えるあたり、満ち足りてるのかなって。
自然の営みも、どんどん崩壊しつつあるのかもしれません。
だからこそ今、失ないつつあるものの大きさを知り
今の世界に取り戻せる「理」を本気で考えたいなーと思ってます。
忙しない日常に流されていると、ついつい忘れてしまうのよね。
あー、やっぱコレ欲しい。あれも欲しい。とか欲が湧き出たり
人と比べて羨んだり落ち込んだりしてね。
でも若いころに比べたら、少しずつそういうものも枯れてきた!?
なんて思う今日この頃。
今が1番幸せだなーと思えるあたり、満ち足りてるのかなって。
自然の営みも、どんどん崩壊しつつあるのかもしれません。
だからこそ今、失ないつつあるものの大きさを知り
今の世界に取り戻せる「理」を本気で考えたいなーと思ってます。
Posted by naminomiハルミ
at 2010年07月26日 23:10
